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嫉妬するより祝福を

先日、「友人から恋人との惚気話を聞かされて辛い」という人を見かけました。

ああ、ずっと聞かされていると、確かに鬱陶しくなってくるよね。
そう思いながら見ていたのですが、どうやらその人は延々と同じ話を聞かされて辛かったり、煽るような話し方に腹が立ったりしたわけではなさそうでした。

「なんで私には恋人がいないのに、友人にはいるんだろう」
そう嫉妬していたのです。

誰しも他人を羨んで、時には嫉妬してしまうことだってあります。
しかし、本当に心底から悩むほどに、自分に恋人がいなくて寂しいのであれば、恋人と幸せな時間を楽しんでいる友人を祝福しない理由があるでしょうか?

惚気話以外に関しても、同じことが言えます。

自分と友人の2人で目指した映画監督の夢。
肩を並べて学び、励み、夜通し議論を交わした日もありました。

しかしながら、夢を叶えたのは友人だけ。

自分は平凡なサラリーマンとして働き、忙しい毎日を過ごしています。
窮屈な満員電車に揺られ、嫌いな上司に嫌味を言われ、疲れた体に鞭打って残業を熟す。
家に帰ったら寝るだけの生活で、休日はテレビや動画を観ながら酒を飲んで横になるばかり。

「週休2日じゃあ撮れる映画もありゃしない」
そう言って、映画のことを頭から追い出して。

ある日、なんとなしに眺めていたテレビに映った人物に目を見張ります。
そこには、かつて共に切磋琢磨した友人の姿が……

そんな状況で、ただ「おめでとう」と祝福できるかと言えば、想像することも難しいくらいです。
同じ場所にいて同じものを見ていたはずの友人が気づけば遠く、もう背中を見ることすらできない位置に立っていた。

嫉妬心や虚無感が際限なく湧き上がり、感情に整理がつけられないのも当然です。
ただ、それでも言葉にするのは祝いの感情であるべきだと私は思います。

複雑な感情を自覚しながら、あくまで友人の幸せを喜ぶことを選択する。
そんな心の持ち主だからこそ、先に行った友人や周囲の人たちの助けが得られ、また自分自身も奮起することができるのではないでしょうか。

世界には理不尽が溢れています。
「なぜお前が」と思うような人が成功している陰で、どんなに努力しても報われない人が存在する。

しかし感謝や祝福、希望といった前向きな気持ちを努めてもち続けていれば、きっと不思議とうまくいく“逆”理不尽に恵まれると私は信じています。
互いのを喜びを分かち合える友人を大切にしていきたいものです。
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